平和だからこそ、こうやって旅行ができる。
そう思ったのは船が出港して間もなくだったと思います。
ピースボートでは(核)戦争の悲惨さを学ぶことができました。
和訳で平和船、と命名されているくらいですからね!
今回はピースボートでの学びと共に、
広島・長崎が原爆にあった
8月6日、9日にピースボートではどんなことをやったか、
についてまとめたいと思います。
船内の企画で…
私が乗船した日程の中には8月6日、9日が含まれていました。
ピースボートではその日に合わせ、核廃絶を訴えるポスターや戦時中の写真が掲示され、
船内の一室では広島・長崎に見立てたプログラムが催されました。
プログラムで解説してくれるのは有志で集まった乗客のボランティア。
その名もおりづるプロジェクト!
おりづるプロジェクトの中には私の友人たちもいて、
ボランティアとは言え、この日の為に学んできた方たち!!
その知識は教科書なんかよりずっと凄いです!
私も船内の講演会では色んな方(水先案内人)から平和について聞いて、色々考えていたつもりでしたが…
この"おりづるプロジェクト"の方々は自主的にもっと深く調べ、考え、平和を多くの人に発信したいと考えていたと思います。
本当、尊敬します!!✨(*´꒳`*)
心に残る戦争の写真
ピースボートでは8月6日、9日に戦時・戦後に撮られた写真をパネルにして掲示していたのですが…
今でも鮮明に覚えているのは一人の男の子の写真。
自分の兄弟をおんぶした男の子がただ写真の中心に立っている、シンプルなものです。
一目見るだけだと、その男の子は大きな怪我を負っている訳でもなく、
私は最初、「え?これが戦争の写真…?」と思い
そのパネルの前で立ち止まりました。
そして、解説を読み、心を打たれました。
おんぶしていた兄弟の赤ちゃんは亡くなっていたのです。
それでも凛として立っている、今で言うと…小学生低学年位の男の子。
表情は強い眼差しのその姿は
私の脳裏にしっかりと焼きついています。
背中に幼い兄弟が力なくいることを
この男の子がどう思っているか…私は知ることができません。
他にも、戦争の悲しさ、悲惨さを如実に表しているポスターや写真、当時の新聞記事を見ることができましたが、この男の子の写真が1番インパクトがあり、私の心に訴えるものがありました。
ノーベル平和賞のメダルを持ってみて
ピースボートではノーベル平和賞のメダルを持って、記念写真を撮る機会もありました。
私の手にもすっぽり収まる大きさのメダル。
(写真では他の人に持ってもらっています)
世界の1人1人が平和について考えたら、平和もすぐ手の届くところにありそうな感覚になりました。
そうあって欲しいです。
核の怖さ
船内の講演で身に迫る危機を感じ、怖くなった言葉があります。
いつかは核が無くなる日が来る。
けれど、その日は次に核が使われる前か
それとも核が使われた後か…
この言葉に私は無条件で納得し、
"もしも"なんてあり得てはいけない現実に恐怖を感じました。
次に使われてからでは遅いのです!!
おわりに
ほんの百年も経ってない昔は日本も戦争をしていた事実があります。
そして、世界のどこかでは今も紛争が起こり、
日本に住んでいる私たちには想像できないくらいの悲しい現実が確かにある、
ということを学びました。
現在は平和な日本ですが、平和って本当に尊いものなのだと
今回の旅で身に染みて感じることができました。
写真ですが…偶然にも数日前にテレビで見る機会がありまして…
男の子は焼き場で順番を待っていた、とのことです。
今まで知らなかったその情報に
船での気持ちを思い出し、
「あぁ、そうだったのか…」と切ない気持ちがこみ上げました。
平和を祈った世界の教会は
前回の記事を参考にして下さい。
chicken-no-tabi.hatenablog.com
今回はいつもと違う、少し暗めの内容でしたが、最後までお読みいただきありがとうございます。
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